金澤ゆい公式サイト

ドキッとした瞬間 〜女性視点/地道に一歩ずつ〜

おはようございます!

「金澤ゆい」です。

本日は、亀戸エリア中心に活動を行なってまいりました。

本日は非常に暑く、私自身も途中で頭が痛くなり、気持ち悪くなってきてしまう状況でした。

水分補給や、適度な休憩をしないと、この炎天下の中の活動は、気をつけなければ危険ですね。

そんな中、嬉しい出来事がありました。

駅前で、近くに住んでいるお母さんと意気投合し、

女性のキャリアと子育てについてや、日本の教育、女性の政界進出、夫婦別姓について、話し込みました。

なぜ、いつまで経っても女性の視点が弱いのでしょうか。

現在、東京都内には、小選挙区・比例含め42人の衆議院議員がいますが、女性はそのうちたったの2人です。

男性の方も、国会議員の9割が女性である社会を想像してみてください。

永田町には東京に生きる女性の視点が全く足りていません。

また、令和の時代を迎えてもなお「出産か、キャリアか」という二択を迫る社会には、まだまだ政策のテコ入れが必要です。

「出産も、キャリアも」「出産したら豊かになった」と感じられる、女性のキャリア復帰支援・起業支援や、指導的立場への積極登用を推し進めたいと思います。

その方から別れ際に、

「だけど、健康第一よ!」
(今日、熱中症っぽくなりかけたな・・・)

「エナジードリンクばかりでは体に悪いわよ。」
(今日も、レッドブル飲んでたな・・・)

「野菜を簡単な調理でも食べた方が良いわよ!」
(野菜ジュースしか飲んでないな・・・)

と言われて、ドキッとする瞬間ばかりでしたが、ほっこりいたしました。

私に限らず、ボランティアメンバーも含め、健康が一番大切ですね!

最後には、

「金澤さんに出会えて良かった!」

とまで言っていただき、またお会いする約束をしました。

ちょっと無理をしましたが、今日も活動を続けていて良かったと思う瞬間でした。

こうやって地道に一歩ずつですが、江東区民の皆さまとコミュニケーションをしてまいります。

引き続き、よろしくお願いいたします。

健康第一で!

共に歩む。

おはようございます!

「金澤ゆい」です。

本日は亀戸、大島、北砂、南砂、深川、古石場、豊洲エリアで活動を行っておりました。

何度も商店街に伺っているためか、私のことを覚えてくださっている方も増えてきており、

「暑いなか、お疲れさま!」

「応援してるよ!」

「若い人に頑張ってほしい!」

「また来たの。笑」

とのお声を多くいただきます。

そのたびに元気をもらい、応えなければ!という緊張感を持ち続けることができます。

会いに行くと笑顔で出向かえてもらえるのは嬉しいものです。

そして、私の活動を手伝ってくださるボランティアの皆さまにも感謝の気持ちでいっぱいです。

お仕事がある中、連日朝夕の活動に参加してくださったり、休日を返上して一日中活動を手伝っていただいたり、本当に皆さまに支えられて活動できているのだと感じております。

こんなにも支えていただいているのに、私は皆さまに何もお返しすることができません。

以前のブログでも触れましたが、金澤ゆい応援団で「新しい出会いや、学べること、何かメンバーにとって将来に繋がること」があれば良いと思っております。

みなさまと一緒に行っている活動により、「金澤ゆい」が江東区内のみなさまへ浸透していっているのを日々感じております。

しかし、まだまだ知って頂いている方は少ないので、引き続き活動を続けてまいります。

今日も、初めてボランティアに参加してくださった方がいらっしゃいました。その方が活動の終わりに、

「とても勉強になりました!」

と感想をいただいて、ほっとしました。

まだまだ至らない点は多々ございますが、楽しく、学びのある金澤ゆい応援団でありたいと思います。

応援してくれる江東区の皆さま。

ボランティアに参加してくださっている皆さま。

本当にいつもありがとうございます!

一緒に頑張っていきましょう!

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

金澤ゆい応援団は、引き続き募集中です!!!

長崎原爆の日に思う。

おはようございます!

「金澤ゆい」です。

本日は「江東区ど真ん中縦断!」活動をしてまいりました。

1945年 8月9日 11:02 

3日前に広島に落とされた原爆、リトルボーイの1.5倍の威力をもつファットマンが落とされました。

長崎に落とされた原爆は、実戦で最後に落とされた核兵器です。

この、核兵器によって、広島の人々と同様に長崎に住む人々の生活は変わってしまいました。

そして、広島と長崎で被爆してしまった二重被爆者を生んでしまいました。

2012年に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、この二重被爆者の可能性がある方は、307人いることが分かりましたが、2020年現在、厚生労働省は実態を把握していません。

広島の原爆の日にも書きましたが、今を生きる私たちはその悲惨さについて未来へ語る必要性があります。

今、平和な日常を私たちが送れているのも、75年前に急にその人生を閉ざされてしまった人々の犠牲の上に成り立っています。

このことを、私達は絶対に忘れてはなりません。

そして、75年前の長崎の晴れ渡った空を思い浮かべながら、黙祷を捧げる中で、外交交渉という方法で、2度と核兵器を使った戦争をしない。

そしてさせない世界を作らなければならないと改めて誓いました。