金澤ゆい公式サイト

グリコを退職しました。「意識高い無職」です。~新たなスタートへ~【中編vol,1】

※グリコの掲載内容は、過去にWEBや、講演会などで話した内容のみ記載しております。

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

グリコを退職して、約4ヶ月。
あっという間のような、まだ4ヶ月のような、本当に1年前には想像もしていなかったような環境に現在はいます。

人生、何が起きるかわからないですね。
だからこそ、面白いのですが。

本日はやっと、退職ブログの中編を書きたいと思います。

↓前編は下記になります。

1.ブランディングを学びたい

キャラクター商品を好き勝手つくっていたら、入社2年目に突入。

ここで思うわけです。

「”ブランディング”学べていない気がする・・・」

そこで私は、グリコで最もブランディングを学べて、学べそうな先輩がいるグループを探し始めました。

そしてたどり着いたのが、

「ポッキーブランド」です。

画像2
ポッキーチョコレート

誰もが知る!?

あの赤い箱のスティックチョコです。

どうしたらポッキーチームに行けるか?

社内では公募という方法があります。

考えた結果・・・ 

公募!

ではなく、人事とマーケティング本部長に自己プレゼンしに行くことに決めました!

公募は手続きが大変。
時期も待ってられない。

なので、自らを売り込むことにしたのです。

ここで私の思う、自分を売り込むポイントは、下記です。

・こんな成果を残してきました。

・ポッキーチームに行きたい理由は〇〇です。

・将来的にポッキーブランドを○○に成長させます。

・先行投資と思ってお願いします! ←ここ大事。

そして、話してから数ヶ月後、まさかのタイミングでポッキーチームに異動に!

正直、想定していたより早かったですし、急でした。

ちなみに、人事は1人の意見ではそう簡単に動かないので、この時は運も良かったとしか言いようがありません。

別のタイミングで、アメリカで仕事したいとその時は公募したのですが、行けませんでした・・・

しかし、何事も行動してみるのが大切です!

そして「最年少のポッキーメンバー」に!

2.制約の苦しみ

ポッキーチームにきて思ったことは、

・メンバーが優秀!

・関連部門の方も優秀!

・予算が潤沢!

(他のメンバーが優秀ではないということではなく、ずば抜けて優秀な人が多く集まっていました。その時のメンバーが特に。)

しかし!

・ロングセラーブランドなので制約がたくさんある。

そう、ロングセラーゆえに、ちょっと変えようとすると、ポッキーらしくないという壁が・・・

そもそも「スティックにチョコ」がポッキーだから、永遠に「スティックにチョコ」について考えなくてはならない。

考えてみてください、「スティックにチョコ」で何個アイディア思いつきますか?

・・・

昔1度、「スティック状のものに何かついてれば」ポッキーである、という定義に勝手にして「グミにキャンディ」でポッキー!と提案したら、即効で却下されました。

ブランドを育てるのも担当者、またブランドを壊すのも担当者です。

私は自分の性格上、制約があることが苦手なことは分かっていました。

しかし、そこも学ぶ必要があると思っていました。

そんな中で異動してきて最初に苦戦したのが「抹茶ポッキー」です。

(下記が完成品)

画像3
ポッキー<濃い深み抹茶>

抹茶ってそんな商品に大差ないように思いますよね?

抹茶での差別化は本当に大変でした。

毎日、抹茶ばかり考えて、大好きな抹茶を危うくキライになるところでした。

ここではリニューアルの詳細は省きますが、私が制約を克服できたのは、先輩の一言がキッカケでした。

それは「制約も楽しむくらいの気持ちでやれ」です。

当たり前なんですけどね、私の中では「制約=足枷」みたいになっていました。

そこから気持ちが入れ替わり「制約の多さはブランドの強さでもあります。その中でどうすればうまくできるか。」を考えるようになりました。

その頃、宣伝会議さんにインタビューを受けた記事を載せておきます。

↓「強い想いとビジョンを胸に、ポッキーの未来を切り拓く若きマーケター」宣伝会議R30のホープたち
https://mag.sendenkaigi.com/senden/201806/R30/013294.php

ビジネスであろうと、政治であろうと、ブランディングやコンセプトは非常に重要です。

今は、自分のブランディングやコンセプトに、悩まされている現状ですが・・・

明日は、私が企画した商品のご紹介をできればと思っております。

活動も引き続き、頑張ってまいります!

9月2日は何の日かご存知でしょうか。

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

本日は東陽町、深川エリアで活動をさせていただきました。

お寺などもご挨拶させていただき、今後どのように深川エリアを活性化するかで、盛り上がりました。

やっぱり古くからの地元の方のお話をお伺いするのは、楽しく、そして学びがたくさんあります。

本日、9月2日は何の日かご存知でしょうか。

アメリカ海軍戦艦ミズーリ―号で当時の連合国に対し、日本がポツダム宣言に署名した日になります。

これをもって、自衛のための戦闘もすべてストップし、実質的な終戦を迎え、サンフランシスコ平和条約締結までの約7年間に渡る占領期間へと続きます。

そして、8月15日から9月2日までの間に、北海道においてソ連軍との激しい攻防戦が繰り広げられました。

そこでは多くの民間人が巻き込まれました。
特に8月22日には、真岡町の真岡郵便電子局事件、北のひめゆり事件ともいわれている、当時の真岡郵便局で働く女性が集団自殺を行う悲しい事件が発生しました。
そして、武装解除をおこなった兵士の皆様は長い間シベリアに抑留され、極寒の大地で飢えや寒さに耐えながら抑留生活を行いました。

この話しを初めて聞いたときに、本当に今の終戦記念日をそのまま終戦の日として取り扱って良いのか疑問に感じました。

8月15日以降に戦った兵士の皆様や、集団自殺で亡くなってしまった彼女たち。

女性や若者の一人として、今、世界で起きている紛争に巻き込まれてる方々を救っていかなければならないと思います。

学生時代は理系の勉強をしてきておりましたが、最近は現代史の勉強をしなおしています。

改めて、靖国神社にある遊就館や九段下の昭和館、新宿にある平和記念展示資料館などにも足を運んで、当時の方々の生活や思いなどを、新たな視点から見てまいりたいと思います。 

防災の日に思う。「水の都 江東区」

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

本日は、深川エリアにて活動を行ってまいりました。

清澄白河が地元なのですが、話しかけてくれる方々が増えてまいりました。

金澤ゆいをお見かけいたしましたら、ぜひお気軽に何でもご相談くださいませ。

本日、9月1日は「防災の日」です。

1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災から、今年で97年になります。

私の住む清澄白河エリアの近く墨田区の横綱町公園には、関東大震災や東京大空襲の慰霊堂があります。

また、私はグリコに勤務していた際に、大阪に住んでいた時期がありました。

そこで、大阪の地元の先輩や友人から、阪神・淡路大震災の実体験をうかがったり、野島断層保存館におうかがいしたりして、人々の生活を一瞬で奪う恐ろしさを身近に感じました。

そして私自身も、大学生時代には東日本大震災を経験いたしました。

公共交通機関が麻痺してしまった東京の街中を、多くの方が自宅まで歩いて帰宅しました。私も、その中に混ざって歩いたのを覚えています。

地震と津波による被害は大きく、東京湾でも津波が発生し、江東区に津波が到達するのではないかという報道も流れました。

江東区は水の都です。

江東区のHPでは東京湾内で発生した津波は防波堤を超えることは無いと予測されているものの、最悪の事態を想定して備えておくことは重要だと考えます。

自分で自分の街を守るためにも、最近入団した消防団のみなさまから学びながら、私も江東区の力になっていきたいと思います。