金澤ゆい公式サイト

あなたの目の前にある”当たり前”は、なぜ存在するのか。〜5匹の猿の実験〜

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、門前仲町、砂町、湾岸エリアを中心に活動してまいりました。

今後、金澤ゆいの自己紹介ムービーを作成予定です。

乞うご期待ください。

皆さま、過去にこんなことを言われた、言ってしまったことはないでしょうか。

「学校には制服を着ていかなければならない。」

「子供の面倒は女性が見なければならない。」

「仕事はスーツを着ていかなければならない。」

ドキッとした方もいらっしゃるかもしれません。

では、なぜそのルールはあるのでしょうか。

何のために?

「ルールだから。」

そう答えていませんか。

今までこうだったから、ルールだから、という理由で社会の当たり前かのようになっている事が往々にしてございます。

では、なぜその”当たり前”が存在するのか、考えたことはありますか。

社会の当たり前、ルールの作られ方について、海外で話題になった話があります。

「5匹の猿の実験」の話です。

見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。

<The 5 Monkeys Experiment(5匹の猿の実験)>

まず始めに、部屋に5匹の猿を入れます。
部屋の中央にははしごが設置されており、登るとはしごの上のバナナを手に入れることが出来ます。
しかし、猿がはしごを登ると、登らなかった残りの猿に氷水が降り注ぐようになっています。
この状況で実験を開始しました。

しばらくすると、猿達は氷水をかけられたくないので、はしごを登る猿を攻撃するようになります。
すると、どの猿たちも段々とはしごを登ろうとしなくなりました。
 
そこで、元々いた5匹のうち1匹を新しい猿に置き換えます。
新しく来た猿は、はしごとバナナを発見します。
なぜ他の猿達がバナナを取りにいかないのか、と不思議に思いつつも、新参者の猿ははしごを登ろうとします。
すると、他の猿達はその新入りの猿を攻撃します。
新参者の猿はなんでボコボコにされたのか理解できませんが、攻撃されたくないので、早々にはしごを登ることを諦めます。
 
また同様に、もう1匹を新しい猿に置き換えます。
新参者の猿ははしごを登ろうとしてボコボコにされます。
以前ボコボコにされた新参者だった猿も、他の皆がやっているため、今回の猿をボコボコにする行為に加担します。
しかし、なんではしごに登ろうとする猿を攻撃しなくてはならないのか、全く理解していません。
 
このように、5匹の猿を1匹ずつ置き換えていき、5回目には元々いた猿は全員部屋からいなくなっています。
今、部屋に居る猿は氷水を浴びせられたことがありませんが、はしごに登ろうとする猿もいません。
全ての猿は、何故こんなことをしているか分からないまま、はしごに登ろうとする猿が現われるとボコボコにするのです。

合理的な理由があって作られたルールでも、時を経るにつれて「作られた理由」を知る人がいなくなり、やがて理由も分からず、ただルールだけが残り続けている現象を揶揄しております。

もしかしたら、もう必要ないかもしれないですし、時代に合っていないかもしれません。

仕事をしていて、学校に行っていて、疑問に思ったことはございませんか。

もしかしたら、その疑問を深堀りしていった先に、必要のないものだと気づくかもしれません。

気づいているのに、向き合うことを諦めているかもしれません。

もしそのルールがなかったら、他のことに時間を使えるかもしれないし、アップデートしてより効率化できるかもしれません。

ただ、そのルールを否定しても、そのルールはなくなりません。

ルールが無くなることの、メリット、デメリットを提示して、なくなった先にあるメリットが大きいことを提案すれば良いのです。

大阪の都構想も同じですね。

「当たり前」と思っている状況にメスを入れる。

「当たり前」だと思考停止することは停滞、そして気づいた頃には衰退に繋がります。

日々の生活や仕事の中で、

「それは何の為にあるのか。」

と疑問を持つことが大切です。

思考をやめて、疑問を持つことを止めたら、成長は止まります。

人間も、社会も。

ルールや常識は知らぬ間に、無意識で出来ていることが往々にしてあります。

だからこそ、その「無意識」に目を向けて見るのです。

難しかったら、まずは目の前にある、今の状況に「なぜ」を。

この思考法は、慣れるまで難しいですし、なかなか自分だけでは発見できない時があります。

そんな時は、自分と環境や経験が異なる人と話してみてください。

それだけでも、自分の当たり前が当たり前でないことに、気付けるかもしれません。

無意識に、会社の色に染まっていた、ということがあるのと似ています。

当たり前に疑問を持つと、新しい発見があります。

それは自分の成長に繋がりますし、結果的に社会の成長へ繋げていけると思います。

最近、私は新しい世界に入って、政治の世界では当たり前に存在していることが、当たり前ではないと思うことに多々直面いたします。

この気持ちを忘れずに、将来的には改革を進め、自分の後の世代に、当たり前だけど必要のないルールが引き継がれないようにしてまいります。

リケジョという言葉がない世界へ。〜理系出身である私が思う、生きにくさと、未来への期待〜

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、豊洲、門前仲町エリアで活動してまいりました。

昨日、”リケジョ”の活躍がニュースで報じられました。

今年のノーベル化学賞にゲノム(全遺伝情報)編集技術を開発した独マックス・プランク感染生物学研究所のエマニュエル・シャルパンティエ所長(51)=フランス出身=と米カリフォルニア大バークリー校のジェニファー・ダウドナ教授(56)の女性2人が輝きました。

(ゲノムという言葉を聞くとワクワクしますね!)

過去にも女性の受賞者はおりましたが、女性二人に共同授与されたのは初めてです。

私も理工学部出身で、生物化学の研究に取り組んでおりました。

世界で活躍している、理系女子コンビの受賞に非常に感激いたしました。

ノーベル賞を自然科学分野での受賞された女性はたったの3.5%です。

また、日本の研究者の女性割合は16.2%しかございません。

政治の分野だけではなく、科学分野でも女性の進出が遅れております。

特に日本の場合、「女性は家事子育て」というジェンダー論が根強く残り、女性が、STEMと言われる理系分野などを義務教育の段階から避ける傾向があります。
※STEM:Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の頭文字

また、ブラック研究室に代表される、長時間労働の過酷な環境も女性の進出を防げている一因です。

労働環境とともに、今の日本は優秀な研究者が正当な評価が得られない現状もございます。

将来の日本の発展のためにも、優秀な研究者の評価、若手研究者の地位向上は必須です。

さらに、他国と大きな差をつけられている研究開発資金への集中投資も必要です。

特に、バイオテクノロジーの医療分野での活用や、介護ロボット、AI・IoT・5Gなどの先端技術の応用を進め、人口減社会に対応するテクノロジーの社会実装を行いたいと思っております。

この報道をきっかけに、多くの女性、学生も科学に興味関心を持ってくれたら嬉しいです。

そのためにも社会の「理系=男性」、理系出身と言うと良い意味だけではなく、驚きの「女性なのに理系なの?」という反応をされるバイアスを緩和していく必要があります。

社会が望む女性像や男性像に私達は窮屈な思いをしてきました。

そもそも”リケジョ”という言葉自体が、そのバイアスを象徴していると言っても過言ではございません。

なぜ女性に理系が少ないか、その一要因としては、幼児期のおもちゃが由来していると思います。

幼児期に男の子が遊ぶのはブロックや車などで、女の子はおままごとが多いです。
その結果、男の子は幼児期の経験から、力学など理系の分野に興味を持つ土台がありますが、女の子にはないのです。

また、女性で理系をビジネスにしている方が少なく、身近にロールモデルがいないのでイメージが湧きにくいこともあります。

教育や社会のバイアスの見直しとともに、女性がもっと科学に興味を持ってくれる環境をつくっていきたいです。

時代を創造する力。

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、豊洲、東雲、辰巳、有明エリアで活動してまいりました。

本日もたくさんの出会いがございました。

応援してくれているワンちゃんとも、いつもの時間と場所も異なったのですが、偶然お会いすることができました。

いつも癒しをありがとうございます。

タワーマンション前での辻立ちで、見えるか見えないかギリギリの高層階からもお手を振ってご声援をいただきました。

「私のマンションにはまだ来ていないよ。」

という方がいらっしゃいましたら、ご連絡くださいませ。

すぐにお伺いいたします。

豊洲公園にいらっしゃったご家族連れの方からは、

「子供たちに質の良い教育を受けさせたい」

というご意見をいただきました。

質の良い教育とは、それぞれ定義は多様かと思いますが、私は「その時代を創造する力」を身に着けることのできる教育だと考えております。

情報化やグローバル化といった社会変化の中で、これからの時代に求められる力とは「自ら課題を見つけ、他者と協力し、テクノロジー駆使して解決する力」なのではないかと思います。

答えのない世界に、自ら思考し、答えを導く力が必要だと思います。

イノベーションも、そこからしか生まれません。

小学生、中学生、高校生、と学校では答えのある教育、みんな同じように過ごすことを求められがちです。

しかし社会に出た途端、答えがなく、個性を求められる。

このままの今の日本の教育では、世界に通用する人材を輩出できなくなると思います。

時代の変化から取り残されている、ルールや制度を変えていかなければなりません。

新学習指導要領が順次改正されておりますが、主眼となっているのは”主体的・対話的で深い学び”の実現です。

まさに、これからの時代を生きる子供たちに必要な学びだと思います。