金澤ゆい公式サイト

HPで専用ブログ立ち上げました!

おはようございます!

「金澤ゆい」です。

とうとう、HPで専用のブログを開設いたしました!

過去の一部ブログを移行作業中です。

これから、こちらでブログ更新していきます!

明日のスケジュールの告知です!

<7/24(金)のスケジュール>

09:00〜11:30 亀戸エリア

・亀戸駅
・亀戸中央通り商店街
・亀戸勝運商店街
・亀戸中央公園 他

13:00〜16:00 大島・北砂・南砂エリア

・東大島駅
・サンロード中の商店街
・大島中央銀座商店街 他

17:00〜19:30 塩浜・潮見・辰巳エリア

・南砂町駅  
・辰巳駅
・潮見駅 他

見かけたら、お声がけください!

では、明日も頑張っていきましょう!

私は何をあげられるだろうか。「無給で、電車賃は自腹で、心身ともにハード。」な彼ら彼女らに。

ども!

「金澤ゆい」です🌸

✳︎

そう、

「無給で、電車賃は自腹で、心身ともにハード。」

な職業⁉︎

それは

ボランティア!!!

都知事選と都議補選を行なって、ますますボランティアの大切さを痛感しました。

ボランティアメンバーが居なければ、選挙は成り立たない…

あれだけ人を集められる人望は、凄いの一言です。

いきなりボランティア集めよう!

ってなったとして、自分なら何人集められそうですか?

家族と親友…

なかなか難しいですよね。

✳︎

応援したい人のことを応援する!

と思ってきてくれているボランティアのチームは、熱量が全然違いました✨

熱量は有権者にも伝わって行くと言われています!熱伝導!

✳︎

私は「金澤ゆい応援団」として来てくれるメンバーには、

楽しくあってほしい

学べることがあってほしい
それは政治に関わらず

友人をつくったり
新しい出会いをしてほしい

一緒に青春したい

と思っています!
(今の思考回路で思いつく範囲…)

他の選挙活動に参加して思ったのですが、幅広い年代が集まって、同じ時を過ごし、みんなで同じゴールを目指すのは、文化祭のような学生の青春を思い出します。

このチームに来て良かったと思ってほしいし、みんなで青春を謳歌しましょう!

では、また🌸

アートから考える「表現の自由」と「矛盾」と「カオス」と

バンクシーの新作「ゲームチェンジャー」
本人のウェブサイト(banksy.co.uk)より (c)Banksy 

「この絵を見て、何を思いましたか?」

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

5月6日 、英国の覆面アーティスト、バンクシー(Banksy)は、新型コロナウイルス感染者らの治療にあたる医療従事者に対する、感謝の思いを込めた作品を発表した。

バンクシーがインスタグラムでも公開したこの作品には、男の子がマントを着けた看護師の人形で遊んでいる様子が描かれている。 

市場の状況やルールを急激に変えてしまう、企業や人を意味する「ゲームチェンジャー」と題された作品で色が使われているのは、看護師の制服に描かれた赤い十字のマークのみ。

男の子の横に置かれた籠の中には、スーパーヒーローの人形が入っている。

病院職員らに向けて「皆さんがしてくれているすべてのことに感謝します。黒と白だけであっても、そちらが少し明るくなりますように。」とメッセージも添えられていた。

作品は秋まで院内に飾られた後、国民保健サービス(NHS)関係の慈善事業を支援するためのオークションに出される予定である。 

この作品を目にした方も多いかと思う。

そして、思ったことは多種多様であると思う。

「日々頑張ってくれている医療関係者への応援メッセージ、素敵。」 

「モノのように乱暴に扱われて、用が済んだら捨てられる。カゴには腕などが変になったヒーロー。」 

「いや、これは良い作品だ。」

「やっぱりダメだ。」

作品には唯一無二の答えなどなく、矛盾やカオスが存在する。

その作品を見る場所が、美術館か、病院か、環境によっても受ける印象は変化していく。

そこには政治的な意見も出てきたりもする。

これは倫理観に欠けるからダメだ、などと批判だけし、ましてや表現の自由を奪うなどというのは、主観的な価値観の押し付けでしかない。 

矛盾に満ちた個と個が攻撃し合うのではなく、むしろそこには濃密なコミュニケーションの可能性が秘められている。

そもそも人間自体が、善も悪も持ち合わせた矛盾した存在であり、個々の正義も異なる。

そして、その集合体が構成している社会も、同様に矛盾とカオスが存在しているのは至極当然であると言える。

しかし、アートや漫画・アニメ・ゲームといった創作活動の分野への、表現の自由が脅かされようとすることは度々起こる。 

時代とともに、複合的な価値観を持った若者や子どもたちの表現が変化していくことを、受け入れていかなくてはいけない。 

人間は自分の理解が及ばない範疇のことに対して、不安や恐怖を感じ、攻撃的になりがちである。 

忘れてはいけないのが、社会の多数派の見解とは異なる考えを持つ人たちは、多数派の同調圧力にさらされ、生きにくさを抱えているということだ。

表現の自由は、誰もが「その人らしく」生きていくことの肯定でもあると考える。

1人ひとりが、自分で考え選択し、自分の人生を決めるという自由にも繋がる。

プライバシーの権利とのバランスもあるが、このコミュニケーションを楽しんだ先に、視野が広がり、新たな発見と社会の発展もあるのではないか。

私も企業で働いていると、ここ数年は少し表現に対して過剰に反応する傾向があるように感じています。

私はアートも漫画もアニメもゲームも大好きです。
もちろん好まない作品もありますよ。

けれど、私の好きな作品は誰かの好まない作品であり、誰かの好きな作品は私の好まない作品でもあるかと。

違うからこそ、面白い。

そんな解釈の異なる余白の無くなった作品は、面白くないのではないでしょうか。

この話は、LGBTQにも繋がっていく話でもあるのですが・・・

それを話すと長くなるので、今日はこの辺で。

(コミケのようなイベントも残していきたいですしね!)