金澤ゆい公式サイト

共に歩む。

おはようございます!

「金澤ゆい」です。

本日は亀戸、大島、北砂、南砂、深川、古石場、豊洲エリアで活動を行っておりました。

何度も商店街に伺っているためか、私のことを覚えてくださっている方も増えてきており、

「暑いなか、お疲れさま!」

「応援してるよ!」

「若い人に頑張ってほしい!」

「また来たの。笑」

とのお声を多くいただきます。

そのたびに元気をもらい、応えなければ!という緊張感を持ち続けることができます。

会いに行くと笑顔で出向かえてもらえるのは嬉しいものです。

そして、私の活動を手伝ってくださるボランティアの皆さまにも感謝の気持ちでいっぱいです。

お仕事がある中、連日朝夕の活動に参加してくださったり、休日を返上して一日中活動を手伝っていただいたり、本当に皆さまに支えられて活動できているのだと感じております。

こんなにも支えていただいているのに、私は皆さまに何もお返しすることができません。

以前のブログでも触れましたが、金澤ゆい応援団で「新しい出会いや、学べること、何かメンバーにとって将来に繋がること」があれば良いと思っております。

みなさまと一緒に行っている活動により、「金澤ゆい」が江東区内のみなさまへ浸透していっているのを日々感じております。

しかし、まだまだ知って頂いている方は少ないので、引き続き活動を続けてまいります。

今日も、初めてボランティアに参加してくださった方がいらっしゃいました。その方が活動の終わりに、

「とても勉強になりました!」

と感想をいただいて、ほっとしました。

まだまだ至らない点は多々ございますが、楽しく、学びのある金澤ゆい応援団でありたいと思います。

応援してくれる江東区の皆さま。

ボランティアに参加してくださっている皆さま。

本当にいつもありがとうございます!

一緒に頑張っていきましょう!

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

金澤ゆい応援団は、引き続き募集中です!!!

長崎原爆の日に思う。

おはようございます!

「金澤ゆい」です。

本日は「江東区ど真ん中縦断!」活動をしてまいりました。

1945年 8月9日 11:02 

3日前に広島に落とされた原爆、リトルボーイの1.5倍の威力をもつファットマンが落とされました。

長崎に落とされた原爆は、実戦で最後に落とされた核兵器です。

この、核兵器によって、広島の人々と同様に長崎に住む人々の生活は変わってしまいました。

そして、広島と長崎で被爆してしまった二重被爆者を生んでしまいました。

2012年に国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、この二重被爆者の可能性がある方は、307人いることが分かりましたが、2020年現在、厚生労働省は実態を把握していません。

広島の原爆の日にも書きましたが、今を生きる私たちはその悲惨さについて未来へ語る必要性があります。

今、平和な日常を私たちが送れているのも、75年前に急にその人生を閉ざされてしまった人々の犠牲の上に成り立っています。

このことを、私達は絶対に忘れてはなりません。

そして、75年前の長崎の晴れ渡った空を思い浮かべながら、黙祷を捧げる中で、外交交渉という方法で、2度と核兵器を使った戦争をしない。

そしてさせない世界を作らなければならないと改めて誓いました。

困っている人に、手を差し伸べるのが政治家なのではないだろうか。

おはようございます!

「金澤ゆい」です。

本日は、江東区内の亀戸・大島・北砂・南砂エリアをメインに活動してまいりました。

商店でコロナウイルス対策をご案内しつつ、様々なお話を伺いましたが、再訪した店舗の方々が覚えていてくださり、応援しに行ったはずが、逆に応援の言葉をいただき、元気を分けていただきました。

その中でも、1日歩いていて印象に残ったことがございます。

それは、

「こんな大変な時期なのに、政治家が誰も来てくれない。私たちにお願いしてくる時は来るのに、困ったときに来てくれない。給付金などの手続きの方法もデジタルではない人間もいて、難しくて分からないのに誰も来てくれなかった。」

というお話をお聞きしたことです。

1人ではなく、数名から似たような話をお伺いいたしました。

政治家は、選挙の前に「皆さまのために頑張ります。」と宣言しているのに、本当に困っている今、誰も助けてくれない。

いったい何をやっているのでしょう。

そうして、政治家に対して不信感をもち、政治に関心が向かなくなっていくのではないでしょうか。

困っている人たちに、必要な手を差し伸べる。

そんな当たり前のことができる政治家になるべく、これからも声をお聞きし、活動してまいります。