金澤ゆい公式サイト

支えられて生きている。

おはようございます!

「金澤ゆい」です!

本日は、豊洲と越中島・門前仲町にご挨拶に伺っておりました。

最近は、いつも会う方も増えてきており「応援しているよ!」との声を聞くたびに勇気をもらい、そして応えなければ!という気持ちになります。

人の縁とは不思議なもので、高校の頃の友人と会ったり、大学の友人、G-splashの先輩と偶然遭遇したり、しかもSNSで活動を知ってくれていて応援してくれたりと、今まで関わった人たちと、年単位越しに繋がっていくのを感じます。

そして最近よく思うのは、応援団メンバーへの感謝です。

正直、人を頼るのは得意ではないので(今でもか・・・)、1人でやってしまおうとするのですが、やっぱり1人では難しくて、本当にメンバーの力が必要です。

率先して現場で動いてくれたり、オンラインでデザインや動画をやってくれたり、人を呼んできてくれたり、アドバイスくれたり、書き切れないくらい、メンバーに支えられているなと感じています。

組織も整っていないし、迷惑もかけ続けていますが、それでも一緒に頑張ってくれている。

仕事や学校に行きながらのボランティアって、大変だと思います。

感謝しかありません。

SNSで応援してくれている応援団や、政治の先輩方にも力をもらってばかりです。

これからもっと新しいメンバーが増えても、私は1人1人を大切にしていきたいですし、金澤ゆい応援団で、新しい出会いや、学べること、何かメンバーにとって将来に繋がることがあれば良いと思っています。

そして何より、楽しくやれたら良いな、と。

以前にも少し書いたことがありましたが、その気持ちは変わりません。

そして、メンバーのみなさん!

未来のメンバーのみなさん!

I ♡ 江東区  Tシャツが完成したしました!

これを着て、みんなで一致団結して、江東区でぶち抜いていきましょう!

いつも、ありがとうございます!

そしてこれからも、よろしくお願いいたします!

一緒に頑張っていきましょう!

まだまだ、応援団メンバーも募集中です!!!

当事者にしか気づけない世界がある。

おはようございます!

「金澤ゆい」です。

本日は門前仲町メインでした!

毎日のように江東区内を歩き回り、近所もタスキをつけて歩いて区民に話しかけるという変人!?のような活動を行っております。

今まで、年配の方やサラリーマン・OL、学生たちとはよく話していたのですが、最近の特徴としましては「お子さま連れのお母さん」と「障がいのある方」に話しかけられることが多くなりました。

お母さんからは、直近の教育の問題やコロナ化での学校の生活変化、教育費の問題、大小様々なお声をお伺いしておりますが、最も多いのは「子どもの将来が漠然と心配」ということでした。

未来の日本を引っ張っていくのは、今の子供たちです。

私たち現役世代が、彼ら彼女たちにバトンを受け継げるような環境にしていかないとと強く思います。

障がいをお持ちの方々は意見が様々でして、もちろんご本人が何を抱えているかで問題意識も変わってくるとは思いますが、根本的な部分で「他の人と同じように接して欲しい」という方、「特別扱いして欲しい」という方、十人十色。

本日だけでも、耳の不自由な方と数名、身振り手振りでコミュニケーションを行いましたが、手話ができたらもっとご本人の意見を聞けたのにな、と悔やまれました。
(江東区議会議員の三次ゆりかさんに、教えていただこうかな・・・)

ほぼ女性の意見ばかり聞いているのですが、雇用形態や交通の不便さなど、私の目線だけでは気づけない内容ばかりです。

しっかりと受け止めていきたいと思っております。

今まで私が聞いてきた内容は、ほんの一部の話でまだまだ世の中に課題は眠っていると思います。

本人すら気付いていないかもしれません。

しかし、こうやって1人1人と対話して、みなさんの意見を聞くことでしか、それは分からないと思っています。

私は個々の意見や価値観を尊重したいと、昔から思っております。

どれが正しいとか答えはなく、互いの考えを尊重して共存して生きていけるような世界にしたいと。

グリコでマーケティングを行っていた際もそうでした。

商品を開発するのにも、現状にどういった課題があり、ではなぜ今は解決されず、新しい商品なら解決できるのか。

机の上でパソコンを叩いていても答えは出ません。

定量データで仮説を立てるのは大切ですが、最終的には定性的にその商品を求めている方々へ意見を聞くしかない。

どんな仕事でも、本質は同じだと思っております。

最終的にたどり着く先は、私たちです。

これからも多くの方と対話してまいります。

グリコを退職しました。本日から「意識高い無職」です。~新たなスタートへ~【前編】

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

2020年5月20日

約7年半務めた「江崎グリコ」を退職いたしました。
短いような、長かったような、でもあっという間の7年間でした。

本当に、みなさんには感謝しかないです。
ありがとうございました。

このような時期なので、最後の挨拶も対面で出来ず、あまり実感のないままの退職となりました。

せっかくなので、この7年半をダイジェストに振り返ってみたいと思います。

※過去に広報や講演会などで、外部に出ている情報のみ記載しております。

1.大阪へ

私の世代は、就活氷河期で100社近く就活エントリーする人が多い世代でした。

私は「戦略や開発、企画(クリエイティブ系)」をやりたく、ご縁があった数社で迷いながらも、「江崎グリコ」への入社を決めました。

なぜなら、グリコは数少ないコース別採用で、「マーケティング」のコースでご縁を頂いていたからです。

そもそも私は、起業をするのが夢で、将来会社を立ち上げたいと思っており、手に職が欲しいと思っていました。

2013年4月 江崎グリコへ入社
いきなり大阪でしたが、人生に1回は大阪も良いだろう、と大阪行きを決断しました。

同期に恵まれ、現在でも集まったり、旅行したりする大事なメンバーと出会えました。
研修期間は大学の延長戦みたいなもので、みんなで研修して遊んだりもして、毎日が楽しかったのを覚えています。

2.マーケティング部へ

そこから晴れて配属された「マーケティング部」
期待と不安に胸を躍らせながらの配属です。

ひとことで言うと、配属されてからは、苦悩の連続でした。

「マーケティングは花形」と言われていますが、だからこそ新入社員が入るような部署ではなかったのです。

花形となれば嫉妬も渦巻ます。

更に、マーケティング部への配属は、基本的には営業などを何年か経験して、そして成績優秀な人が異動してくるのが他社なども含め一般的なことが多いので余計です。

※マーケティングの仕事内容は、下記ブログ参照。

今でこそ、大きなブランドのもとで1年間学ぶという教育制度が整っていますが、初代マーケティングのコース別採用なので、教育制度も手探りでした。

いきなり小さいながらもブランドを任され、マニュアルもない、答えもない。

そして先輩たちはみんな忙しい。

新入社員だからチヤホヤ?なんてもってのほかです。

マーケティングは皆のリーダーです。
年齢関係なしに、いきなり新入社員のひよっこがプロジェクトリーダーになって、自分の年齢の倍の先輩たちを動かしていかなければならないのです。

考えてみてください、いきなり新人がプロジェクトのリーダーですよ?
会社の事も、社会の事も分かっていない。
出来るわけないんですよ。
失敗しまくりです。

マーケティング部だから、と高いパフォーマンスを求められ、毎日が緊張感の連続でした。

しかし、その状況を嘆いても何にもならないので、先輩たちに声をかけて、関連部門に足しげく通って、怒られながら、関係を築いていきました。

入社して約半年、夜遅くから、土日までがむしゃらに働き続けました。

(私が仕事に慣れてなくて、進めるのが遅かったのもありますが…)

ここまで詰め込んだのは、夢があるので、それへ向けてのゴールバックで考えると、早く成果を残したかったからです。

人の3倍以上は勉強もしました。

社内のコンテストに応募して、全社で2名しか受からなかった特別プロジェクトのメンバーにも入りました。(これのせいで更に自分を追い込み、忙しくなるわけですが・・・)

その結果、厳しかった先輩とも仲良くなりましたし、心強い仲間がたくさん出来ました。

たくさん迷惑もかけたので、ここで謝っておきます。
あの時は、迷惑かけました。
ありがとうございました!

がむしゃらに頑張れとは言いませんが、人とは違う何かを残してやる!と思っているのであれば、人の倍以上は努力し、人から話を聞いて、仲間を増やして、一歩ずつ進んでいくしかないと思います。

3.最初の1年半でやったこと

私の担当は「キャラクター商品」でした。

Disneyや任天堂、サンリオなどとのコラボ商品をつくることです。

新商品を企画するための戦略を練ったり、もちろん既存商品も放置では売り上げは下がっていくので、もう覚えきれていないですが、10種以上のリニューアルを行いました。

実は今でも、私の作った中身とデザインで販売されています。

<リニューアルした過去商品一例>

うらないっこがむ
(現在は終売)

占い100種とか考えたなぁ。笑
舌が黄色くなるガムとか。笑
公園や塾の子供に調査にも行ってました。

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ポップキャン
ポップキャン「ひみつの味」作ったのが懐かしいです。
塾に行ったりして、子供からヒアリングしていましたね。

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フレンドラムネ
この時代、顔のアップ流行ってたんですよ。
笑顔のミッキーが入るように仕込みました。
こういった細部の工夫を大切にしていました。

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フレンドチョコ

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そして、約1年半という短い期間で、4~5種の新商品を開発しました。

だいたい1年に1~2個の新商品を発売するのが昨今の流れになっているので、わけ分からないスピードで開発していました。

今は「選択と集中」が大切ですね。

ちなみに私が思う「企画を通すポイント」は、

「自分の強い領域で攻める」

「消費者を味方につける」

ということです。

まず企画が通らなければ、商品の発売にはいたりません。
上司と会社の承認をもらわなければ発売に至らないのですが、新人のアイディアなどだいたい先輩や上司は考えています。

だからこそ、自分にしか分からない範囲で勝負すると通りやすいです。

私は、アニメやキャラクター知識をここで活かしました。

<新商品一例>

ツインポップグミ
(現在は終売)
2つ食べると味が変わるグミ。
キャラクターにもこだわってました。
裏ストーリーなどもつくるのが好きです。

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ジバニャンペロティ
(現在は終売)
これ最初に作ったら、ぶさニャンになって、
顔作り込むの苦労しました。
研究所に行って、一緒に試作品を作っていたのが懐かしいです。

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KissWill(キスウィル)
(現在は終売)
この商品は、ニーズに基づいたコンセプト
(商品名やコピーも)、
ターゲットに合わせたデザインなど、細部までこだわりましたね。
今でも社内の方も覚えてくれています。
本当はミッキーとミニーで対で出す予定でしたが
「アナと雪の女王」の映画化が決まり、
急きょデザインを変更して発売した商品です。
これは思い入れが深いです。

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↓最初に対で出す予定だった商品。追って販売。

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PetitQ(プティキュ)
これは今でも発売している商品です。
年間に数千のお菓子が発売され、
残るのは1~2個・・・
奇跡的に残っています。
ツムツムに似ていますが、実は全てオリジナルで、
キャラクターデザインを作りました。

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4.ふと思う、これで良いのか?

色々な企画を好き勝手にやらせてもらいました。

生き急いだこともあり、成果も多少は残せました。

しかし、ここで思うのです。

好き勝手にやらせてもらったのは、小さなブランドだからでは?

企画の一連の流れは把握しました。

しかし私は「ブランディング」というものを学べていないと気づくのです。

そして、そこからグリコの看板商品、ポッキーグループへの異動を志願します。

中編へ続く・・・