金澤ゆい公式サイト

家族には頼らないと決めていた。

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、深川エリアにて活動してまいりました。

深川でお世話になっている住職から、ありがたいお話を伺いました。

やっぱり地元のお声は、心に響きます。

本日は、母が手伝いに来てくれました。

私が政治家を志すと言って、最も驚いたのは、家族と仲の良い友人でした。

なぜなら、私は政治家があまり好きではありませんでした。

メディアの影響があるとはいえ、テレビを付けたら汚職の話や、国民そっちのけで自分の身の心配ばかり。

私たちにとって、本当に良い意味での政治が行われているとは思えない。

だからこそ、自分で起業して、世の中をより良くしようと思っておりました。

しかし、紆余曲折あり、この世界に入る決断をしました。
(なぜ政治家を志したかは、決意表明の動画を参照ください。)

親は私の選択する道を、いつも応援してくれます。

私が自分で選んだ道なら、きっと乗り越えていける、そのように思ってくれております。

しかし、政治の道を選んだ時は、反対はされなかったものの、お金もかかるし、せっかく積み上げてきたキャリアを捨てることにも「大丈夫?」と心配されました。

何より、政治に関わっているだけで否定してくる人もいるし、政治という言葉を出しただけで攻撃してくる人もいるので、そのような社会からの扱いに心配していました。

確かに、自分の子供だったら、今の世の中で、あえて過酷な政治家という仕事を選んで欲しいとは思わないです。

この道を選んでからも、本当に何か成し遂げたいことがないと、政治の世界をオススメすることは出来ないと、私も身をもって経験して思います。

私は絶対に、家族には迷惑をかけないと決めていました。

だから、この半年、全く頼ることもありませんでした。

しかし、事務所開きに来てくれて、そこでの私の決意表明と、来賓の方々の言葉を聞いて、私の決意に共感してくれました。

そして、「もっと頼りなよ。」と言ってくれました。

本当に、涙が出そうになりました。

カッコつけて「頼らない」と決めていたけれど、やっぱり親は偉大です。

私の知らないところで、ボランティア募集の声をかけてくれたり、私の紹介をしてくれていたりもしていました。

カッコつけたって、何の意味もない。

家族や友人や仲間に頼りっぱなしで、迷惑もかけてしまうけれど、必ず勝って恩返しをする。

私にできる、ただ1つの恩返しです。

いつも、ありがとうございます。

人生をかけて戦います。

どうか、これからも、よろしくお願いいたします。

15分おきに水分補給!?

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、深川エリアを中心に活動してまいりました。

季節が冬に近づくにつれ、空気も乾燥してまいります。

ウイルスが流行しやすい時期です。

ウイルス対策には、手洗い・うがいも有効ですが、こまめな水分補給で体内の水分を保つことも有効です。

水分は、体内の粘膜を保護し、ウイルスをスムーズに体外へ排出するのに役立ちます。

そして、ウイルスの侵入には最速で20分程度かかるといわれているので、15分に一回少量の水を飲むのがお勧めです。

お医者さんも実践してるとのこと。

こまめな水分補給で、乾燥の時期でもしっかりとウイルス対策をしてまいりましょう。

空気の乾燥と共に、朝、夜は特に気温が下がってまいりました。

朝の駅頭で2時間立ってると、震えてきます。

気温の急激な変化で体調を崩しやすい時期でもございます。

体が資本です。

私も温かい恰好で寝て、そして外出の際は防寒対策を取り、引き続き活動してまいります。

皆さまも体調にはお気をつけてお過ごしくださいませ。

あなたの目の前にある”当たり前”は、なぜ存在するのか。〜5匹の猿の実験〜

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、門前仲町、砂町、湾岸エリアを中心に活動してまいりました。

今後、金澤ゆいの自己紹介ムービーを作成予定です。

乞うご期待ください。

皆さま、過去にこんなことを言われた、言ってしまったことはないでしょうか。

「学校には制服を着ていかなければならない。」

「子供の面倒は女性が見なければならない。」

「仕事はスーツを着ていかなければならない。」

ドキッとした方もいらっしゃるかもしれません。

では、なぜそのルールはあるのでしょうか。

何のために?

「ルールだから。」

そう答えていませんか。

今までこうだったから、ルールだから、という理由で社会の当たり前かのようになっている事が往々にしてございます。

では、なぜその”当たり前”が存在するのか、考えたことはありますか。

社会の当たり前、ルールの作られ方について、海外で話題になった話があります。

「5匹の猿の実験」の話です。

見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。

<The 5 Monkeys Experiment(5匹の猿の実験)>

まず始めに、部屋に5匹の猿を入れます。
部屋の中央にははしごが設置されており、登るとはしごの上のバナナを手に入れることが出来ます。
しかし、猿がはしごを登ると、登らなかった残りの猿に氷水が降り注ぐようになっています。
この状況で実験を開始しました。

しばらくすると、猿達は氷水をかけられたくないので、はしごを登る猿を攻撃するようになります。
すると、どの猿たちも段々とはしごを登ろうとしなくなりました。
 
そこで、元々いた5匹のうち1匹を新しい猿に置き換えます。
新しく来た猿は、はしごとバナナを発見します。
なぜ他の猿達がバナナを取りにいかないのか、と不思議に思いつつも、新参者の猿ははしごを登ろうとします。
すると、他の猿達はその新入りの猿を攻撃します。
新参者の猿はなんでボコボコにされたのか理解できませんが、攻撃されたくないので、早々にはしごを登ることを諦めます。
 
また同様に、もう1匹を新しい猿に置き換えます。
新参者の猿ははしごを登ろうとしてボコボコにされます。
以前ボコボコにされた新参者だった猿も、他の皆がやっているため、今回の猿をボコボコにする行為に加担します。
しかし、なんではしごに登ろうとする猿を攻撃しなくてはならないのか、全く理解していません。
 
このように、5匹の猿を1匹ずつ置き換えていき、5回目には元々いた猿は全員部屋からいなくなっています。
今、部屋に居る猿は氷水を浴びせられたことがありませんが、はしごに登ろうとする猿もいません。
全ての猿は、何故こんなことをしているか分からないまま、はしごに登ろうとする猿が現われるとボコボコにするのです。

合理的な理由があって作られたルールでも、時を経るにつれて「作られた理由」を知る人がいなくなり、やがて理由も分からず、ただルールだけが残り続けている現象を揶揄しております。

もしかしたら、もう必要ないかもしれないですし、時代に合っていないかもしれません。

仕事をしていて、学校に行っていて、疑問に思ったことはございませんか。

もしかしたら、その疑問を深堀りしていった先に、必要のないものだと気づくかもしれません。

気づいているのに、向き合うことを諦めているかもしれません。

もしそのルールがなかったら、他のことに時間を使えるかもしれないし、アップデートしてより効率化できるかもしれません。

ただ、そのルールを否定しても、そのルールはなくなりません。

ルールが無くなることの、メリット、デメリットを提示して、なくなった先にあるメリットが大きいことを提案すれば良いのです。

大阪の都構想も同じですね。

「当たり前」と思っている状況にメスを入れる。

「当たり前」だと思考停止することは停滞、そして気づいた頃には衰退に繋がります。

日々の生活や仕事の中で、

「それは何の為にあるのか。」

と疑問を持つことが大切です。

思考をやめて、疑問を持つことを止めたら、成長は止まります。

人間も、社会も。

ルールや常識は知らぬ間に、無意識で出来ていることが往々にしてあります。

だからこそ、その「無意識」に目を向けて見るのです。

難しかったら、まずは目の前にある、今の状況に「なぜ」を。

この思考法は、慣れるまで難しいですし、なかなか自分だけでは発見できない時があります。

そんな時は、自分と環境や経験が異なる人と話してみてください。

それだけでも、自分の当たり前が当たり前でないことに、気付けるかもしれません。

無意識に、会社の色に染まっていた、ということがあるのと似ています。

当たり前に疑問を持つと、新しい発見があります。

それは自分の成長に繋がりますし、結果的に社会の成長へ繋げていけると思います。

最近、私は新しい世界に入って、政治の世界では当たり前に存在していることが、当たり前ではないと思うことに多々直面いたします。

この気持ちを忘れずに、将来的には改革を進め、自分の後の世代に、当たり前だけど必要のないルールが引き継がれないようにしてまいります。