おはようございます。
「金澤ゆい」です。
本日と明日は、江東区内全エリアにて、年末のご挨拶をさせていただいております。
夜は地元の消防団の、年末の特別警戒も行っております。
夜回りにも行ってまいりました。
本当に今年は、目まぐるしく環境が変化した1年間でした。
なんとなく、顔つきすら変わった気がします。
多くの出会いがあり、学びのある1年間でした。
簡単に、1年間を写真で振り返ってみようと思います。
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今年の初めに政界への挑戦を決意してから、毎日があっという間でした。
初めての宣材写真の撮影で、いつもおろしていた髪を、耳にかけた髪型をしました。
今では、この髪型にすると、スイッチが入ります。
日本維新の会から公認をいただいてから、ダッシュで宣材写真を撮影して、記者会見に挑んだあの頃が懐かしいです。
何もかも、毎日が、新しいことの連続でした。
一番最初のボランティアメンバーを集めたミーティングでは、高校や大学の友人や先輩、多くの方が応援に駆けつけてくださりました。
この頃に来てくれたメンバーは、現在も積極的に活動に参加してくださったり、応援してくださっています。
右も左も分からず、転びながら走り続ける日々です。
そして日本維新の会の、1回目の東京都の支部長の記者発表。
まだまだあどけなさが残ります。
今も心に響く演説をするのは難しいですが、この頃はさらに不慣れな喋り方で、動画を見返すと、恥ずかしくなります。
他の選挙のお手伝いに行くこともありました。
応援に来ていた鈴木宗男さんからもエールをいただいたりもしました。
初期の頃は、当たり前ですが知名度も無く、何もない状態でしたので、必要なポスターやチラシ、名刺だけは制作して、日々ポスターを持って歩いて回っておりました。
初めてポスターを貼って良いよ、と許可をいただいた時の感動は今でも忘れません。
そして長年勤めたグリコを、今年の5月に退職いたしました。
写真は、2019年の冬に大阪から東京へ戻ってくる時の、送別の写真です。
こうやって大勢の方と集まれる機会がなくなってしまったのは、とても寂しく思います。
今年の5月は、もうコロナ禍でしたので、テレワークも進んでおり、最後はみなさんと会えないままの退職となりました。
ポッキーのマーケティングに長年従事して参りましたが、この時も毎日走り続けてがむしゃらに頑張っていました。
ここから、仕事と政治活動を並行していた日々から、政治活動1本に集中した、休みのない日々が始まります。
※退職時のブログは下記にて掲載しております。
今年の夏は、都知事選の応援にも入っておりました。
この時は、小野たいすけさんと一緒に、自転車で山手線を一周しました。
この頃から、他の人よりも体力があるのではないか、と気付き始めました。
あいにくの雨でしたが、最後まで全員で走り抜けました。
更に、北区の都議補選には、ホテルを取って泊まり込みで応援に入っておりました。
多くのことを学ばせていただきました。
ビジネスと同じだと思いますが、自分の選挙をするにしても、そもそも選挙というものを知らなければ、戦略も立てられません。
まだまだ戦略を立てられるほどの経験値は多くないですが、この選挙を経て、選挙というものの概要を知りました。
ビジネスも人によってやり方が異なるように、選挙も人によって異なるので、手法を知るには、もっと経験を積まないとですね。
こちらは初めての街頭演説会の日の様子です。
親友から先輩まで、多くの方にお集まりいただき、嬉しい限りでした。
演説は感極まったり、グダグダな部分もありましたが、思いが伝わってきた!とメンバーから言って頂いたので、良かったとします。
人の心に響く演説をしたいものです。
日々練習あるのみ!
この頃は街宣車も自転車も無く、キャリーバックに荷物を詰め込んで、竹刀袋にのぼりのポールを入れて電車で移動していました。
怪しすぎますね・・・
持ち運べる量も限られているし、ゼロから何かを始めるのって、本当に大変ですね。
よく団地にも顔出しさせていただき、人生の先輩方からお話をお伺いしておりました。
いつも一緒にいる、仲良しの奥様たちと。
ありがたいことに、お子さま達から手を振って頂いたり、囲まれることが多く、私自身もいつも元気をいただいております。
「カード」と称して、金澤ゆい名刺を渡すと喜んでもらえるのが、私も嬉しいです。
そして、お子さま達は、私のことをよく覚えていてくださり、パワーの源です。
パネルができた際は、こんな感じに歩いて運んでいました。
これで電車に乗るのは、恥ずかしかったです。
(今は、自分の顔のパネルのついた街宣車を運転していますけどね;)
1つのブログにまとめたかったのですが、長くなりすぎたので、今日と明日の2回に分けたいと思います。
後編へ続く。