金澤ゆい公式サイト

ただ正義が異なるだけなのに、なぜ批判をするのか。もっと議論をする文化を。

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、深川エリアで活動してまいりました。

先日、活動中にこんなやりとりがありました。

私がチラシを渡した女性の方から、キツめの口調で、

女性「私は共産党なの!」

と言われました。

なので私は、

金澤「考え方は異なっても、日本を良くしたいのは同じです。金澤ゆいをよろしくお願い致します。」

と伝えたところ、非常に驚かれておりました。

過去に共産党と言ったことで、嫌な目にあったことがあるようです。

他にも、とある宗教を信仰している女性の方のお話に耳を傾けていたところ、

女性「話を聞いてくれて、ありがとう。」

と言われたこともあります。

私はこういう場面に出くわすと、いつもとても悲しいです。

信じたものが、マジョリティ(多数派)ではなかったから、マイノリティ(少数派)だったから、周囲にも言えず、言ったとしても否定される。

この息苦しい「同調圧力」をどうにかしていきたいです。

正義が異なるだけで、みんな「幸せに生きていきたい」そんなシンプルな答えは同じなのではないでしょうか。

本当の多様性というのは、性差や年代だけではなく、個性の考え方を認めることだと思います。

正義が異なるなら、議論すれば良い。

「違う意見=敵」ではないのです。

攻撃するだけでは、議論は平行線をたどるだけです。

なぜ攻撃するのか?

目的を見失っていませんか。

手段と目的を履き違えていませんか。

日本を良くしたい、

社会を良くしたい、

会社を良くしたい、

生活を豊かにしたい、

良い企画をつくりたい・・・

人格の攻撃や、論破すること、揚げ足取り、感情にまかせて議論を掻き乱す行為など、時間とコストの無駄でしかないです。

議論というのは、まず最初に「目的の共通認識」を持つことが大切です。

そして「唯一無二の正しい答えなどない」という認識を持つことも重要です。

例えば「教育の無償化」ひとつをとっても、無償化すべきだ、すべきではない、という議論をしても、唯一無二の正しい答えのないテーマに答えは導き出されません。

だからこそ、現状のデータと課題、その課題の解決策のアイデアと、デメリットとメリットなど、共通認識を持ち、同じ土台に立つことが大切です。

そこから議論を重ね、より正しいと思える答えを導いていきます。

私たちはいつだって、答えのないテーマに模索して、生き残ってきました。

ちなみに、ゴールが明確でないと余計に思考はネガティブになりやすいように、人の脳は出来ています。

だからこそ、ゴールを明確にすることで、何をやるかが見えてきて、意外と「こんなものか。」とポジティブに思えるようにもなります。

明日から実践できることです。

まずは冷静に、深呼吸。

選択をして、未来を創るのは、自分たちです。

答えのない時こそ。情報は多角的に。最低3方向。

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、東大島、大島、西大島、深川を中心に活動いたしました。

最近は、事務所開設の挨拶回りを行なっております。

たまには、マーケティング時代のお話を。

私は、仕事のプロジェクトを行う上で、大切にしていたことがあります。

それは「情報は多角的に取れ」ということです。

プロジェクトでリーダーをやると、目的の異なる部署や、取引先との間に入って企画を進めていくことが多いのですが、すれ違うことも多々ございました。

例えば、A社とB社が揉めてたら、

①A社の情報

②B社の情報

③中立的な人からの情報

最低でも、3方向から取るべきです。

全ての情報を揃えた上で、自分がどのようなスタンスを取るか決める。

人は立場や環境によっても、受け止め方が異なると思いますので、その本人にとって真実でも、違う視点から見たら、そうではない場合もあるかと思います。

私たちは状況を見極めないといけません。

その上で初めて自分のスタンスを決めれると思います。

次期衆院選の分析も多数出ておりますが、あれも、いい加減な記事もございますしね;

1つの情報では、大体は井の中の蛙で導き出せないので、複数の情報が必要です。

それでも、どうしたら良いか分からない時は、本来の目的は何だったかを改めて確認し、自分の信じる道をいけば良いと思っております。

データの取得が十分になることはございません。

答えのない世界ほど、目的に沿っているもの、かつ最後は自分の軸に沿って、思い切って決めることが大切だと思います。

アートから考える「表現の自由」と「矛盾」と「カオス」と

バンクシーの新作「ゲームチェンジャー」
本人のウェブサイト(banksy.co.uk)より (c)Banksy 

「この絵を見て、何を思いましたか?」

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

5月6日 、英国の覆面アーティスト、バンクシー(Banksy)は、新型コロナウイルス感染者らの治療にあたる医療従事者に対する、感謝の思いを込めた作品を発表した。

バンクシーがインスタグラムでも公開したこの作品には、男の子がマントを着けた看護師の人形で遊んでいる様子が描かれている。 

市場の状況やルールを急激に変えてしまう、企業や人を意味する「ゲームチェンジャー」と題された作品で色が使われているのは、看護師の制服に描かれた赤い十字のマークのみ。

男の子の横に置かれた籠の中には、スーパーヒーローの人形が入っている。

病院職員らに向けて「皆さんがしてくれているすべてのことに感謝します。黒と白だけであっても、そちらが少し明るくなりますように。」とメッセージも添えられていた。

作品は秋まで院内に飾られた後、国民保健サービス(NHS)関係の慈善事業を支援するためのオークションに出される予定である。 

この作品を目にした方も多いかと思う。

そして、思ったことは多種多様であると思う。

「日々頑張ってくれている医療関係者への応援メッセージ、素敵。」 

「モノのように乱暴に扱われて、用が済んだら捨てられる。カゴには腕などが変になったヒーロー。」 

「いや、これは良い作品だ。」

「やっぱりダメだ。」

作品には唯一無二の答えなどなく、矛盾やカオスが存在する。

その作品を見る場所が、美術館か、病院か、環境によっても受ける印象は変化していく。

そこには政治的な意見も出てきたりもする。

これは倫理観に欠けるからダメだ、などと批判だけし、ましてや表現の自由を奪うなどというのは、主観的な価値観の押し付けでしかない。 

矛盾に満ちた個と個が攻撃し合うのではなく、むしろそこには濃密なコミュニケーションの可能性が秘められている。

そもそも人間自体が、善も悪も持ち合わせた矛盾した存在であり、個々の正義も異なる。

そして、その集合体が構成している社会も、同様に矛盾とカオスが存在しているのは至極当然であると言える。

しかし、アートや漫画・アニメ・ゲームといった創作活動の分野への、表現の自由が脅かされようとすることは度々起こる。 

時代とともに、複合的な価値観を持った若者や子どもたちの表現が変化していくことを、受け入れていかなくてはいけない。 

人間は自分の理解が及ばない範疇のことに対して、不安や恐怖を感じ、攻撃的になりがちである。 

忘れてはいけないのが、社会の多数派の見解とは異なる考えを持つ人たちは、多数派の同調圧力にさらされ、生きにくさを抱えているということだ。

表現の自由は、誰もが「その人らしく」生きていくことの肯定でもあると考える。

1人ひとりが、自分で考え選択し、自分の人生を決めるという自由にも繋がる。

プライバシーの権利とのバランスもあるが、このコミュニケーションを楽しんだ先に、視野が広がり、新たな発見と社会の発展もあるのではないか。

私も企業で働いていると、ここ数年は少し表現に対して過剰に反応する傾向があるように感じています。

私はアートも漫画もアニメもゲームも大好きです。
もちろん好まない作品もありますよ。

けれど、私の好きな作品は誰かの好まない作品であり、誰かの好きな作品は私の好まない作品でもあるかと。

違うからこそ、面白い。

そんな解釈の異なる余白の無くなった作品は、面白くないのではないでしょうか。

この話は、LGBTQにも繋がっていく話でもあるのですが・・・

それを話すと長くなるので、今日はこの辺で。

(コミケのようなイベントも残していきたいですしね!)