金澤ゆい公式サイト

落選後、去っていった人もいた。でも支えてくれる、支え続けてくれる人がいる。 〜再挑戦への道・赤裸々の告白〜

おはようございます。「金澤ゆい」です。

最近は地元活動を行いながら、先輩議員のもとで勉強させて頂きつつ、夏の参議院選挙へ向けた党勢拡大の応援に入らせていただいております。

春の季節といえば別れと出会い、そして始まりの季節でもあります。

今回は改めて落選後の想いと、そして再挑戦へ向けてのお話をさせて頂きたいと思います。

今だからこそ言える気持ちを、赤裸々にお話させていただきます。

まず、昨年の衆議院選挙では、ご支援を頂き誠にありがとうございました。
結果は、落選でした。応援してくださっている皆さまのご期待にお応えすることができず、誠に申し訳ございませんでした。全て私の力不足です。

「44,882票」有権者の方の約10人に1人が「金澤ゆい」と書いてくださりました。比例当選まであと1,453票、惜敗率でわずか1.9%の差でした。

皆さまのご支援であと一歩のところまで迫りながら、自分の力不足に悔しい気持ちでいっぱいでした。

少し長くなりますが、落選後の想いを綴らせて頂きます。最後まで読んでいただけますと幸いです。

2019年のクリスマス。日本維新の会宛に、支部長の公募へ応募する書類を提出してまいりました。そしてご縁があり年明けに支部長の公認を頂き、2020年の頭にグリコを退社して、そこから私の政治活動がスタートいたしました。多くの方に驚かれたのが懐かしいです。

地盤も看板(知名度)もカバン(お金)も無く、初めての政治の世界でした。先輩方の話を聞きながら、最初はポール1本持って駅に立つところから始まりました。いつ選挙があるか分からないという中、何も無かった私は日々がむしゃらに活動をしてまいりました。

朝7〜9時は駅に立ち、10〜17時は戸別訪問や辻立ち。18〜20時はまた駅に立ち、事務をやってくれる人もおらず、帰ってからは事務作業をおこなっておりました。1〜2時頃に就寝し、また次の日は5時半に起きる。そんな毎日を過ごしておりました。

緊急事態が発出される前は、2週間に1回江東区の全地域でミニ集会を開き、皆様のお声をお伺いし、政策へと反映しておりました。

約2年かけて、江東区の全エリアのお宅に1度はお伺いさせて頂きました。普通にOLをしていた私にはスタッフを雇う資金はなく、ボランティアの皆さんとコツコツと日々一軒一軒歩いてまわりました。

年末年始も、消防団の活動や、地元で活動し、12月31日も1月1日も文字通り休まず活動してまいりました。

休むのは、歩きすぎて腰が痛くなった時や、風邪をひいた時だけでした。休む勇気がなくなってしまっていた、という事もあります。何もなかった私は、まず自分が誰よりも活動しなければと考え、日々活動を続けてまいりました。

最初は自分1人で戦っていると思っていました。しかし、応援してくださる方が徐々に増え、別れや出会いを繰り返しながらも、最後には多くの仲間ができました。ゴールも分からない中、2年間もの日々を今日まで一緒に活動してくれた皆さま、応援してくれた皆さまには本当に感謝しております。改めて、本当にありがとうございます。

落選という結果を受けて、その次の日からまた駅に立ち、選挙後も休む事なく、お世話になった方々へのご報告や、ポスターの御礼をさせていただいております。

本当にたくさんの方の応援をいただいていたのだと、お一人お一人に感謝の気持ちでいっぱいです。選挙後もボランティアの皆さまと共にご挨拶にまわっております。選挙後もお手伝いをしてくださる皆さまには感謝の念しかございません。

2年間も休まず活動し、借金をして今回の挑戦をしました。そして、多くの方のご支援とご期待を背負って戦ってまいりました。そんな中、落選というのは心身ともに辛いものがありました。

しかし、クヨクヨしていても物事は好転しない。そう思い自分を奮い立たせて一歩ずつ前に進んでおります。「頑張っていたね。」「惜しかった。」「次も頑張って欲しい。」「政治界に光を照らして欲しい。」「これからもっと応援する。」「一緒に頑張ろう!」そんな温かい言葉をかけて頂き、どうにかその想いに応えたいと思うばかりです。

前回の選挙から多くの経験を得て、そして課題も浮き彫りとなりました。

時には心が折れてしまいそうになることもございます。落選後、また支部長を続けるのか、起業するのか、はたまたサラリーマンに戻るのか、悩みました。今でも迷うことはございます。しかし、多くの方の応援の声に応えたい、それは当選という形で恩返しするしかないと思い、再挑戦する決意をしました。

楽な道のりではございません。けれど、世の為、人の為、どうにか頑張っていきたいと思う次第です。この強い想いだけは変わりません。そして、想いだけではなく行動に移していきます。

「29歳リケジョ、国政へ」のコピーを掲げて始めた政治活動、気づけば今年で32歳の歳を迎えようとしております。

改めて、日本維新の会から、衆議院東京都第15選挙区(江東区)支部長として、再び公認をいただいております。

落選という結果を受けて、今後の政治活動をどのように行っていくのか先が見えず悶々とした思いがありましたが、引き続き江東区で活動を行なってまいります。

活動を続けるためには、どうしても皆さまの応援が必要です。また費用も多くかかります。

事務所の維持や、車の維持費、人件費、ポスターやチラシをデザインしたり印刷したりするだけでも100万円単位の費用がかかります。事務所は昨年末で維持が難しいのでは、というギリギリまで追い詰められましたが、多くの方のご支援により今年も事務所を構えたまま活動を続けることができております。人件費は選挙前に雇わせて頂いた事務員の雇用を解除して、他の事務所を紹介するなどをせざるを得なくなりました。現在はまた自分で事務作業もしております。

落選するというのは、ただの無職になることです。給与なんてものも、守ってくれるものもございません。自分の住む家や、今も大学の奨学金を返済しながら生活しているので、その工面も必要です。ギリギリのところまで追い詰められましたが、厳しい言い方をすれば、これは自分で選んだ道です。

しかし、1人では限界がございます。いつもお願いばかりで、何も返せていないことに心苦しさもございますが、どうかもう一度皆さまの手で私にチャンスをください。

落選して離れていってしまう方も、残念ながらおりました。

しかし、活動を続けるためには党員のノルマがございます。どうかもうしばらく、私の応援をしていただけますと幸いです。

私の名前で、党員になってくださる方がおりましたら、下記の問い合わせフォームのメッセージ欄に「党員希望」と記載してご連絡いただけますと幸いです。

金澤ゆい問い合わせフォーム
https://kanazawayui.com/#contact

引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

皆さまの期待に応えられるよう頑張って参ります。

金澤ゆい

人生をかけてでも、変えたいものがある。 ~普通のOLがなぜ政治家を志したのか~ (衆議院東京15区 江東区 金澤ゆい)

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

本日は、深川・城東エリアを中心に活動しておりました。

テレワークから出社に切り替わった方も増えて「久しぶりだね!」と声をかけていただく機会も多くなってまいりました。

久しぶりにお会いする方の元気な姿を見て、安心すると共に、励ましの言葉をいただき嬉しい限りです。

私も民間企業で働いている時に、毎日電車で出社していたことを思い出し、懐かしくなりました。

あの頃に感じた社会構造への疑問。「頑張っている人が、報われる社会」を実現するために、引き続き活動を続けてまいります。

民間企業から政治の世界に飛び込んで約2年が経ちます。

毎日駅に立ったり、地域を歩き皆さまのご意見を伺ったりしている現在の生活を、当時の私は全く想像しておりませんでした。

本日は、政治とは無縁の世界で生きてきた私が、なぜ政治の世界に飛び込んだのかご紹介したいと思います。

私は2019年末に仕事で約7年過ごした大阪から、東京へ戻ってまいりました。

新しい分野の立ち上げを任されての東京への移動でした。

また同時期に、興味のあった企業からオファーをいただいたり、女性のキャリア支援の会社を起業しようと考えており、投資家も決まっておりました。

有難いことにさまざまなご縁をいただき、人生の選択に悩みました。

一方、民間企業で働く中で、女性にしか分からない差別は、友人の話を聞いても、まだまだ残っていると感じておりました。

子供を産み、仕事に戻る際に、正社員を辞めてパート採用となり、実力はあるのに正当な報酬をもらえていないと感じる身近な人もいました。

日本の労働力不足が叫ばれて久しいですが、働きたいのに働けない、能力があるのに評価されない、時代が変わっているのになかなか構造は変わらない、そんな今の社会に疑問を感じました。

これらの問題を解決するために、子育てによりキャリアを諦めた人を支援する、女性支援の会社を起業しようと考えておりました。

しかし、いくら私一人が起業しても、世の中のルールや制約が変わらないと、社会は抜本的に変わらないのではないか。

日本を代表する大企業ですらなかなか変えられないのに。

そう考えると「日本から変えるしかない」と気づきました。

いきなり政治の世界に飛び込むことが、たとえ無謀であろうと、根拠のない使命感であろうと、

気づいてしまったから、気づいてしまった人が変えるしかない」と思いました。

世の中を批判をすることは簡単でも、それでは社会は変わりません。

誰かがやらないと変わらないんです。

政治の世界を知れば知るほど、しがらみの多い、旧態依然とした世界であることを感じます。

政治家の家系や、お金持ちではないと無理なのではないかと何度も思いました。

だからこそ、私のような一般人が少なく、民間の当たり前の視点が欠けているのだとも言えます。

今は無謀だと思えても、それが当たり前にならなければ社会は変わりません。

民間企業で働いてきた、皆さまと近い感覚をもった人間が、若い世代が、これからの政治の世界で頑張っていく必要があると思っています。

今の旧態依然とした政治に風穴を開けていきたい。

私は「頑張っている人が、報われる世界」「誰もが自由に選択できる社会」を創っていきたいです。

皆さまの声で政治が動く、私は「対話で未来を拓いて」いきたいと思っています。

追伸:たった一人で始めた活動も、今では多くの方に支えられて続けることができました。

感謝しかございません。

度々のお願いで申し訳ない限りですが、本番まで1週間を切りました。

ラストスパートをかけるために、皆さまのお力をあと少しだけお貸しいただけないでしょうか。

↓金澤ゆいを応援する3つの方法
https://kanazawayui.com/support/

よろしくお願いいたします。

写真で振り返る「金澤ゆい」2020年 〜目まぐるしい環境の変化〜(1/2)

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

本日と明日は、江東区内全エリアにて、年末のご挨拶をさせていただいております。

夜は地元の消防団の、年末の特別警戒も行っております。

夜回りにも行ってまいりました。


本当に今年は、目まぐるしく環境が変化した1年間でした。

なんとなく、顔つきすら変わった気がします。

多くの出会いがあり、学びのある1年間でした。

簡単に、1年間を写真で振り返ってみようと思います。

今年の初めに政界への挑戦を決意してから、毎日があっという間でした。

初めての宣材写真の撮影で、いつもおろしていた髪を、耳にかけた髪型をしました。

今では、この髪型にすると、スイッチが入ります。

日本維新の会から公認をいただいてから、ダッシュで宣材写真を撮影して、記者会見に挑んだあの頃が懐かしいです。

何もかも、毎日が、新しいことの連続でした。

一番最初のボランティアメンバーを集めたミーティングでは、高校や大学の友人や先輩、多くの方が応援に駆けつけてくださりました。

この頃に来てくれたメンバーは、現在も積極的に活動に参加してくださったり、応援してくださっています。

右も左も分からず、転びながら走り続ける日々です。

そして日本維新の会の、1回目の東京都の支部長の記者発表。

まだまだあどけなさが残ります。

今も心に響く演説をするのは難しいですが、この頃はさらに不慣れな喋り方で、動画を見返すと、恥ずかしくなります。

他の選挙のお手伝いに行くこともありました。

応援に来ていた鈴木宗男さんからもエールをいただいたりもしました。

初期の頃は、当たり前ですが知名度も無く、何もない状態でしたので、必要なポスターやチラシ、名刺だけは制作して、日々ポスターを持って歩いて回っておりました。

初めてポスターを貼って良いよ、と許可をいただいた時の感動は今でも忘れません。

そして長年勤めたグリコを、今年の5月に退職いたしました。

写真は、2019年の冬に大阪から東京へ戻ってくる時の、送別の写真です。

こうやって大勢の方と集まれる機会がなくなってしまったのは、とても寂しく思います。

今年の5月は、もうコロナ禍でしたので、テレワークも進んでおり、最後はみなさんと会えないままの退職となりました。

ポッキーのマーケティングに長年従事して参りましたが、この時も毎日走り続けてがむしゃらに頑張っていました。

ここから、仕事と政治活動を並行していた日々から、政治活動1本に集中した、休みのない日々が始まります。

※退職時のブログは下記にて掲載しております。

今年の夏は、都知事選の応援にも入っておりました。

この時は、小野たいすけさんと一緒に、自転車で山手線を一周しました。

この頃から、他の人よりも体力があるのではないか、と気付き始めました。

あいにくの雨でしたが、最後まで全員で走り抜けました。

更に、北区の都議補選には、ホテルを取って泊まり込みで応援に入っておりました。

多くのことを学ばせていただきました。

ビジネスと同じだと思いますが、自分の選挙をするにしても、そもそも選挙というものを知らなければ、戦略も立てられません。

まだまだ戦略を立てられるほどの経験値は多くないですが、この選挙を経て、選挙というものの概要を知りました。

ビジネスも人によってやり方が異なるように、選挙も人によって異なるので、手法を知るには、もっと経験を積まないとですね。

こちらは初めての街頭演説会の日の様子です。

親友から先輩まで、多くの方にお集まりいただき、嬉しい限りでした。

演説は感極まったり、グダグダな部分もありましたが、思いが伝わってきた!とメンバーから言って頂いたので、良かったとします。

人の心に響く演説をしたいものです。

日々練習あるのみ!

この頃は街宣車も自転車も無く、キャリーバックに荷物を詰め込んで、竹刀袋にのぼりのポールを入れて電車で移動していました。

怪しすぎますね・・・

持ち運べる量も限られているし、ゼロから何かを始めるのって、本当に大変ですね。

よく団地にも顔出しさせていただき、人生の先輩方からお話をお伺いしておりました。

いつも一緒にいる、仲良しの奥様たちと。

ありがたいことに、お子さま達から手を振って頂いたり、囲まれることが多く、私自身もいつも元気をいただいております。

「カード」と称して、金澤ゆい名刺を渡すと喜んでもらえるのが、私も嬉しいです。

そして、お子さま達は、私のことをよく覚えていてくださり、パワーの源です。

パネルができた際は、こんな感じに歩いて運んでいました。

これで電車に乗るのは、恥ずかしかったです。

(今は、自分の顔のパネルのついた街宣車を運転していますけどね;)

1つのブログにまとめたかったのですが、長くなりすぎたので、今日と明日の2回に分けたいと思います。

後編へ続く。