金澤ゆい公式サイト

人生をかけてでも、変えたいものがある。 ~普通のOLがなぜ政治家を志したのか~ (衆議院東京15区 江東区 金澤ゆい)

おはようございます。

「金澤ゆい」です。

本日は、深川・城東エリアを中心に活動しておりました。

テレワークから出社に切り替わった方も増えて「久しぶりだね!」と声をかけていただく機会も多くなってまいりました。

久しぶりにお会いする方の元気な姿を見て、安心すると共に、励ましの言葉をいただき嬉しい限りです。

私も民間企業で働いている時に、毎日電車で出社していたことを思い出し、懐かしくなりました。

あの頃に感じた社会構造への疑問。「頑張っている人が、報われる社会」を実現するために、引き続き活動を続けてまいります。

民間企業から政治の世界に飛び込んで約2年が経ちます。

毎日駅に立ったり、地域を歩き皆さまのご意見を伺ったりしている現在の生活を、当時の私は全く想像しておりませんでした。

本日は、政治とは無縁の世界で生きてきた私が、なぜ政治の世界に飛び込んだのかご紹介したいと思います。

私は2019年末に仕事で約7年過ごした大阪から、東京へ戻ってまいりました。

新しい分野の立ち上げを任されての東京への移動でした。

また同時期に、興味のあった企業からオファーをいただいたり、女性のキャリア支援の会社を起業しようと考えており、投資家も決まっておりました。

有難いことにさまざまなご縁をいただき、人生の選択に悩みました。

一方、民間企業で働く中で、女性にしか分からない差別は、友人の話を聞いても、まだまだ残っていると感じておりました。

子供を産み、仕事に戻る際に、正社員を辞めてパート採用となり、実力はあるのに正当な報酬をもらえていないと感じる身近な人もいました。

日本の労働力不足が叫ばれて久しいですが、働きたいのに働けない、能力があるのに評価されない、時代が変わっているのになかなか構造は変わらない、そんな今の社会に疑問を感じました。

これらの問題を解決するために、子育てによりキャリアを諦めた人を支援する、女性支援の会社を起業しようと考えておりました。

しかし、いくら私一人が起業しても、世の中のルールや制約が変わらないと、社会は抜本的に変わらないのではないか。

日本を代表する大企業ですらなかなか変えられないのに。

そう考えると「日本から変えるしかない」と気づきました。

いきなり政治の世界に飛び込むことが、たとえ無謀であろうと、根拠のない使命感であろうと、

気づいてしまったから、気づいてしまった人が変えるしかない」と思いました。

世の中を批判をすることは簡単でも、それでは社会は変わりません。

誰かがやらないと変わらないんです。

政治の世界を知れば知るほど、しがらみの多い、旧態依然とした世界であることを感じます。

政治家の家系や、お金持ちではないと無理なのではないかと何度も思いました。

だからこそ、私のような一般人が少なく、民間の当たり前の視点が欠けているのだとも言えます。

今は無謀だと思えても、それが当たり前にならなければ社会は変わりません。

民間企業で働いてきた、皆さまと近い感覚をもった人間が、若い世代が、これからの政治の世界で頑張っていく必要があると思っています。

今の旧態依然とした政治に風穴を開けていきたい。

私は「頑張っている人が、報われる世界」「誰もが自由に選択できる社会」を創っていきたいです。

皆さまの声で政治が動く、私は「対話で未来を拓いて」いきたいと思っています。

追伸:たった一人で始めた活動も、今では多くの方に支えられて続けることができました。

感謝しかございません。

度々のお願いで申し訳ない限りですが、本番まで1週間を切りました。

ラストスパートをかけるために、皆さまのお力をあと少しだけお貸しいただけないでしょうか。

↓金澤ゆいを応援する3つの方法
https://kanazawayui.com/support/

よろしくお願いいたします。

あなたの目の前にある”当たり前”は、なぜ存在するのか。〜5匹の猿の実験〜

おはようございます。

「金澤ゆい」でございます。

本日は、門前仲町、砂町、湾岸エリアを中心に活動してまいりました。

今後、金澤ゆいの自己紹介ムービーを作成予定です。

乞うご期待ください。

皆さま、過去にこんなことを言われた、言ってしまったことはないでしょうか。

「学校には制服を着ていかなければならない。」

「子供の面倒は女性が見なければならない。」

「仕事はスーツを着ていかなければならない。」

ドキッとした方もいらっしゃるかもしれません。

では、なぜそのルールはあるのでしょうか。

何のために?

「ルールだから。」

そう答えていませんか。

今までこうだったから、ルールだから、という理由で社会の当たり前かのようになっている事が往々にしてございます。

では、なぜその”当たり前”が存在するのか、考えたことはありますか。

社会の当たり前、ルールの作られ方について、海外で話題になった話があります。

「5匹の猿の実験」の話です。

見たことがある方もいらっしゃるかもしれません。

<The 5 Monkeys Experiment(5匹の猿の実験)>

まず始めに、部屋に5匹の猿を入れます。
部屋の中央にははしごが設置されており、登るとはしごの上のバナナを手に入れることが出来ます。
しかし、猿がはしごを登ると、登らなかった残りの猿に氷水が降り注ぐようになっています。
この状況で実験を開始しました。

しばらくすると、猿達は氷水をかけられたくないので、はしごを登る猿を攻撃するようになります。
すると、どの猿たちも段々とはしごを登ろうとしなくなりました。
 
そこで、元々いた5匹のうち1匹を新しい猿に置き換えます。
新しく来た猿は、はしごとバナナを発見します。
なぜ他の猿達がバナナを取りにいかないのか、と不思議に思いつつも、新参者の猿ははしごを登ろうとします。
すると、他の猿達はその新入りの猿を攻撃します。
新参者の猿はなんでボコボコにされたのか理解できませんが、攻撃されたくないので、早々にはしごを登ることを諦めます。
 
また同様に、もう1匹を新しい猿に置き換えます。
新参者の猿ははしごを登ろうとしてボコボコにされます。
以前ボコボコにされた新参者だった猿も、他の皆がやっているため、今回の猿をボコボコにする行為に加担します。
しかし、なんではしごに登ろうとする猿を攻撃しなくてはならないのか、全く理解していません。
 
このように、5匹の猿を1匹ずつ置き換えていき、5回目には元々いた猿は全員部屋からいなくなっています。
今、部屋に居る猿は氷水を浴びせられたことがありませんが、はしごに登ろうとする猿もいません。
全ての猿は、何故こんなことをしているか分からないまま、はしごに登ろうとする猿が現われるとボコボコにするのです。

合理的な理由があって作られたルールでも、時を経るにつれて「作られた理由」を知る人がいなくなり、やがて理由も分からず、ただルールだけが残り続けている現象を揶揄しております。

もしかしたら、もう必要ないかもしれないですし、時代に合っていないかもしれません。

仕事をしていて、学校に行っていて、疑問に思ったことはございませんか。

もしかしたら、その疑問を深堀りしていった先に、必要のないものだと気づくかもしれません。

気づいているのに、向き合うことを諦めているかもしれません。

もしそのルールがなかったら、他のことに時間を使えるかもしれないし、アップデートしてより効率化できるかもしれません。

ただ、そのルールを否定しても、そのルールはなくなりません。

ルールが無くなることの、メリット、デメリットを提示して、なくなった先にあるメリットが大きいことを提案すれば良いのです。

大阪の都構想も同じですね。

「当たり前」と思っている状況にメスを入れる。

「当たり前」だと思考停止することは停滞、そして気づいた頃には衰退に繋がります。

日々の生活や仕事の中で、

「それは何の為にあるのか。」

と疑問を持つことが大切です。

思考をやめて、疑問を持つことを止めたら、成長は止まります。

人間も、社会も。

ルールや常識は知らぬ間に、無意識で出来ていることが往々にしてあります。

だからこそ、その「無意識」に目を向けて見るのです。

難しかったら、まずは目の前にある、今の状況に「なぜ」を。

この思考法は、慣れるまで難しいですし、なかなか自分だけでは発見できない時があります。

そんな時は、自分と環境や経験が異なる人と話してみてください。

それだけでも、自分の当たり前が当たり前でないことに、気付けるかもしれません。

無意識に、会社の色に染まっていた、ということがあるのと似ています。

当たり前に疑問を持つと、新しい発見があります。

それは自分の成長に繋がりますし、結果的に社会の成長へ繋げていけると思います。

最近、私は新しい世界に入って、政治の世界では当たり前に存在していることが、当たり前ではないと思うことに多々直面いたします。

この気持ちを忘れずに、将来的には改革を進め、自分の後の世代に、当たり前だけど必要のないルールが引き継がれないようにしてまいります。