おはようございます。
「金澤ゆい」です。
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2020年5月20日
約7年半務めた「江崎グリコ」を退職いたしました。
短いような、長かったような、でもあっという間の7年間でした。
本当に、みなさんには感謝しかないです。
ありがとうございました。
このような時期なので、最後の挨拶も対面で出来ず、あまり実感のないままの退職となりました。
せっかくなので、この7年半をダイジェストに振り返ってみたいと思います。
※過去に広報や講演会などで、外部に出ている情報のみ記載しております。
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1.大阪へ
私の世代は、就活氷河期で100社近く就活エントリーする人が多い世代でした。
私は「戦略や開発、企画(クリエイティブ系)」をやりたく、ご縁があった数社で迷いながらも、「江崎グリコ」への入社を決めました。
なぜなら、グリコは数少ないコース別採用で、「マーケティング」のコースでご縁を頂いていたからです。
そもそも私は、起業をするのが夢で、将来会社を立ち上げたいと思っており、手に職が欲しいと思っていました。
2013年4月 江崎グリコへ入社
いきなり大阪でしたが、人生に1回は大阪も良いだろう、と大阪行きを決断しました。
同期に恵まれ、現在でも集まったり、旅行したりする大事なメンバーと出会えました。
研修期間は大学の延長戦みたいなもので、みんなで研修して遊んだりもして、毎日が楽しかったのを覚えています。
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2.マーケティング部へ
そこから晴れて配属された「マーケティング部」
期待と不安に胸を躍らせながらの配属です。
ひとことで言うと、配属されてからは、苦悩の連続でした。
「マーケティングは花形」と言われていますが、だからこそ新入社員が入るような部署ではなかったのです。
花形となれば嫉妬も渦巻ます。
更に、マーケティング部への配属は、基本的には営業などを何年か経験して、そして成績優秀な人が異動してくるのが他社なども含め一般的なことが多いので余計です。
※マーケティングの仕事内容は、下記ブログ参照。
今でこそ、大きなブランドのもとで1年間学ぶという教育制度が整っていますが、初代マーケティングのコース別採用なので、教育制度も手探りでした。
いきなり小さいながらもブランドを任され、マニュアルもない、答えもない。
そして先輩たちはみんな忙しい。
新入社員だからチヤホヤ?なんてもってのほかです。
マーケティングは皆のリーダーです。
年齢関係なしに、いきなり新入社員のひよっこがプロジェクトリーダーになって、自分の年齢の倍の先輩たちを動かしていかなければならないのです。
考えてみてください、いきなり新人がプロジェクトのリーダーですよ?
会社の事も、社会の事も分かっていない。
出来るわけないんですよ。
失敗しまくりです。
マーケティング部だから、と高いパフォーマンスを求められ、毎日が緊張感の連続でした。
しかし、その状況を嘆いても何にもならないので、先輩たちに声をかけて、関連部門に足しげく通って、怒られながら、関係を築いていきました。
入社して約半年、夜遅くから、土日までがむしゃらに働き続けました。
(私が仕事に慣れてなくて、進めるのが遅かったのもありますが…)
ここまで詰め込んだのは、夢があるので、それへ向けてのゴールバックで考えると、早く成果を残したかったからです。
人の3倍以上は勉強もしました。
社内のコンテストに応募して、全社で2名しか受からなかった特別プロジェクトのメンバーにも入りました。(これのせいで更に自分を追い込み、忙しくなるわけですが・・・)
その結果、厳しかった先輩とも仲良くなりましたし、心強い仲間がたくさん出来ました。
たくさん迷惑もかけたので、ここで謝っておきます。
あの時は、迷惑かけました。
ありがとうございました!
がむしゃらに頑張れとは言いませんが、人とは違う何かを残してやる!と思っているのであれば、人の倍以上は努力し、人から話を聞いて、仲間を増やして、一歩ずつ進んでいくしかないと思います。
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3.最初の1年半でやったこと
私の担当は「キャラクター商品」でした。
Disneyや任天堂、サンリオなどとのコラボ商品をつくることです。
新商品を企画するための戦略を練ったり、もちろん既存商品も放置では売り上げは下がっていくので、もう覚えきれていないですが、10種以上のリニューアルを行いました。
実は今でも、私の作った中身とデザインで販売されています。
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<リニューアルした過去商品一例>
うらないっこがむ
(現在は終売)
占い100種とか考えたなぁ。笑
舌が黄色くなるガムとか。笑
公園や塾の子供に調査にも行ってました。
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ポップキャン
ポップキャン「ひみつの味」作ったのが懐かしいです。
塾に行ったりして、子供からヒアリングしていましたね。
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フレンドラムネ
この時代、顔のアップ流行ってたんですよ。
笑顔のミッキーが入るように仕込みました。
こういった細部の工夫を大切にしていました。
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フレンドチョコ
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そして、約1年半という短い期間で、4~5種の新商品を開発しました。
だいたい1年に1~2個の新商品を発売するのが昨今の流れになっているので、わけ分からないスピードで開発していました。
今は「選択と集中」が大切ですね。
ちなみに私が思う「企画を通すポイント」は、
「自分の強い領域で攻める」
「消費者を味方につける」
ということです。
まず企画が通らなければ、商品の発売にはいたりません。
上司と会社の承認をもらわなければ発売に至らないのですが、新人のアイディアなどだいたい先輩や上司は考えています。
だからこそ、自分にしか分からない範囲で勝負すると通りやすいです。
私は、アニメやキャラクター知識をここで活かしました。
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<新商品一例>
ツインポップグミ
(現在は終売)
2つ食べると味が変わるグミ。
キャラクターにもこだわってました。
裏ストーリーなどもつくるのが好きです。
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ジバニャンペロティ
(現在は終売)
これ最初に作ったら、ぶさニャンになって、
顔作り込むの苦労しました。
研究所に行って、一緒に試作品を作っていたのが懐かしいです。
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KissWill(キスウィル)
(現在は終売)
この商品は、ニーズに基づいたコンセプト
(商品名やコピーも)、
ターゲットに合わせたデザインなど、細部までこだわりましたね。
今でも社内の方も覚えてくれています。
本当はミッキーとミニーで対で出す予定でしたが
「アナと雪の女王」の映画化が決まり、
急きょデザインを変更して発売した商品です。
これは思い入れが深いです。
↓最初に対で出す予定だった商品。追って販売。
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PetitQ(プティキュ)
これは今でも発売している商品です。
年間に数千のお菓子が発売され、
残るのは1~2個・・・
奇跡的に残っています。
ツムツムに似ていますが、実は全てオリジナルで、
キャラクターデザインを作りました。
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4.ふと思う、これで良いのか?
色々な企画を好き勝手にやらせてもらいました。
生き急いだこともあり、成果も多少は残せました。
しかし、ここで思うのです。
好き勝手にやらせてもらったのは、小さなブランドだからでは?
企画の一連の流れは把握しました。
しかし私は「ブランディング」というものを学べていないと気づくのです。
そして、そこからグリコの看板商品、ポッキーグループへの異動を志願します。
中編へ続く・・・